【こんな私がやりたい事って?】必死だった幼少期

私の人生に大きく(私にとってのレベルですが)影響のあった、小さい頃の記憶のお話しの前編です。

人の感情はきっとそれぞれで
共感できるところ、そうでない部分様々だと思いますが、
こんな人もいるんだねーと少しでも頭に残してもらえて、元気になってもらえたら。

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私は幼い頃から低体重で背も小さくて背の順は常に1番前、体力も少なめだったと思います。

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今でも痩せてて太りたいので
↓【太りたい】ブログを書いております。
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そんな幼少期は
とてもぼーっとした性格だったのか
その時その時の毎日の生活だけで必死だったのか
小さい頃の楽しい記憶は殆ど覚えていません。

けれどお絵描きとか、工作とかそういう事に関する記憶は少しばかり残っています。

幼稚園年長の頃、発表会で「オズの魔法使い」の劇をする事になりました。
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役決めの時に「後はカカシとブリキの役だけど、誰がしますか?」という先生の質問。
ほかの役はいつの間にか決まっていた様で、その役しか選べませんでした。

その2役も結局他の子がカカシが良いと言って、私は残り物のブリキに勝手に決まりました。(ブリキが良くない訳では無いですよ!)

まずオズの魔法使いのストーリーを知らなかったので・・・役すらわかりませんでした。
だからあの役がしたかった!って事すら言えなかったのです。

そんな私も、役をするから絵本読んでとか、知らないから教えてとか言えばよかったのに、何も進んで言った覚えもありません。
幼稚園でもその話を読んでもらった記憶もありませんでした。←読んでもらったけど流してしまってたのかなぁ・・・

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初めに、ぼーっとしている性格と書きましたが、
いつも先生に話しかけるのも緊張、話しかけられたらテンパってしまうような性格でした。

普段会話がほとんどなかったので、周りを見渡す余裕がなく、毎日の変化に鈍感だったのかもしれません。

奇跡的に同い年のお友達とはまぁまぁ喋っていたような・・・。でもほぼ記憶なし。

年下の子と話すのは、私はお姉ちゃんらしくしないといけないという気持ちになって、堅苦しくなりものすごく苦手でした。

そんな性格なので、普段はなかなか自分から発言できない性格でした。あと、知らない事があるのは恥ずかしい事だと何故かものすごく強く思っていました。まだ5歳くらいだから知らないことだらけなのに。
そのくせ、自分から色々と調べようともしなかった。その手段も何も知らなかったんです。

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役が決まったので
役がわかるよう役のお面を頭につけるためのお絵描きをしました。
ブリキはこんなんだよ。と先生に教えてもらって描きました。

グレー色をしたブリキの絵をみて、そのまんまの色で描いたなぁという記憶。そしてブリキとわかるように描かなきゃダメだ!仕上げないと!という必死な気持ちで描いてました。

そして完成!

だけど、なんでこんな汚い絵しかかけないんだろう・・・と、とても悲しい気持ちでした。
先生にできたと言いに行くのがすごく嫌でした。結局先生が気づいて、描くのをやめたような気がします。

一応、劇は無事に終了(?)だったはず。そこのところは何も覚えていません。。

また別の時期、幼稚園では作品展がありました。
その作品作りのためにみんなで工作をしていました。

円柱や四角形等のカラーの発泡スチロールにボンドをつけて立体造形していく工作でした。

しかし私が作ると、この柱が全く立ってくれなくて、みんなが完成し終わった頃にもほとんど倒れた状態でした。

作品展にこれを見せるのはダメだと思ったのでしょう、先生は私だけ制作の時間を作って、私に作らせました。
この時も、続き作ってと言われてものすごく恥ずかしい気持ちになった事を思い出します。


なんとか奇跡的にボンドで立てた時、先生にできたと伝えました。少しでも触ると倒れそうなくらい不安定な感じでしたね。

作品のテーマを考えて作ったのではなく、とにかくその時は発泡スチロールをボンドで立たせる事に必死でした。

作品展当日。

母と一緒に見に行った記憶があります。
私の作品を見てほしい!という感情は全くありませんでした。
それよりも、あの作品が倒れていないだろうか、倒れていたらどうしよう、見たくない早く帰りたいという気持ちでした。

そして例の作品の前に立ったのです。

他の子の作品もすぐ隣に並べられてるので。
目がそっちにもいって、とてもお友達と比べました。

特別な時間をとって作品を作っていたはずなのに
規模の小さいの私の作品。。上手く立てられずに倒したままの部材が平らに並べられて・・・。
私の作品だけちょっとしか立ってない作品で
劇の時と同様
この時も、ものすごく悲しかった。

母は何か言ってくれてたのかも。その辺の記憶はありません。

何に対しても、みんなについて行くだけで必死でした。最低限の事を仕上げる事だけで必死なので、それ以上の事はできませんでした。

もしかすると、私だけではなく他の子達も同じように、他の子と比べたりして必死にな時期ではあったのかもしれません。
今になっては昔の事を振り返って色々考えられますが、あの頃は本当に、そこにしがみつくしかないという必死感がすごかったです。


【〇〇だったらどうしよう】という思い込みすぎな思考。マイナスな事を考え、マイナスな事をよく覚え、何かあればマイナスな事を思い出して前向きに動けない。そんな性格でした。

しかし、そのお陰?なのか、上記に描いた悔しい思い出が私の将来に大きく関わってきたんです。

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続きはまた後日更新します!